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キリスト教のお供えとは?供え物は必要?仏教との違いと祈りの考え方
2026年2月24日
「キリスト教では、お供えは必要なのだろうか」「仏教のように、ごはんや果物を供える習慣はあるの?」と疑問に感じる方は少なくありません。
日本では、仏壇に食べ物や花を供える習慣が広く知られているため、キリスト教の葬儀や追悼の場面でも同じようにお供えを用意すべきか迷う方も多いのではないでしょうか。
特に、親族がキリスト教信仰を持っていた場合や、教会葬儀に参列する機会があった場合、「何かお供えを持参した方がよいのか」「失礼にならないだろうか」と不安に感じることもあるでしょう。
この記事では、仏教におけるお供えの意味を整理しながら、キリスト教におけるお供えの考え方や、代わりに大切にされている祈りの形について、初めての方にも分かりやすく解説します。
目次
そもそも仏教における「お供え」とは何か
仏教におけるお供えとは、亡くなった方の霊を供養するために、食べ物や花、飲み物などを仏壇やお墓に供える行為を指します。これは、故人への感謝や敬意を表すとともに、安らかな成仏を願う意味を持っています。
代表的なお供えには、ごはんや果物、お菓子、お茶、花などがあります。これらは、故人が生前好んでいたものや、清らかさを象徴するものが選ばれることが多く、遺族が日常的に供えることもあります。
仏教では、亡くなった後の魂は一定の期間を経て次の世界へ向かうと考えられているため、その過程で故人を支え、供養する意味を込めてお供えが行われます。お供えは単なる形式ではなく、故人とのつながりを大切にし、祈りの気持ちを形として表す行為とされています。
このような背景から、日本では「故人には食べ物を供えるもの」という認識が広く浸透しており、葬儀後も仏壇やお墓にお供えをする習慣が続いています。

キリスト教に「お供え」の考え方はある?
結論から言うと、キリスト教には、仏教のように食べ物などを故人へ供えるという意味での「お供え」の習慣は基本的にありません。
キリスト教では「供養」ではなく「祈り」が中心
キリスト教では、人は亡くなると神のもとへ迎え入れられると考えられています。プロテスタントではこれを「召天(しょうてん)」、カトリックでは「帰天(きてん)」と呼びます。いずれも、故人が神のもとへ帰るという意味を持つ言葉です。
仏教では「成仏」という考え方がありますが、キリスト教にはこの概念はありません。亡くなった後に修行や供養によって救いに至るという考え方ではなく、神の恵みによって永遠の命へと導かれると理解されています。
そのため、仏教のように「供養のために食べ物を供える」という発想は基本的に存在しません。キリスト教において大切にされるのは、物を供えることではなく、神に祈りをささげ、故人を覚え続けることです。
祈りは、神との対話であり、故人の魂の平安と、残された家族の慰めを願う大切な行為です。物ではなく祈りによって故人とのつながりを保つという点が、キリスト教の大きな特徴といえるでしょう。
祭壇に食べ物を供えることは基本的にない
教会葬儀や追悼ミサ(カトリック)、召天記念式(プロテスタント)などの際、祭壇には十字架や聖書、花などが飾られますが、仏教のようにごはんや果物などの食べ物が供えられることは一般的ではありません。
これは、故人がすでに神のもとへ迎え入れられたと信じられているためです。物を供えることで故人の状態が変わるという考え方ではなく、祈りを通して神の恵みに感謝し、故人を覚えることが中心となります。
このように、キリスト教では「成仏のためのお供え」という発想はなく、神への信頼と祈りが追悼の基本的な姿勢とされています。
キリスト教で大切にされる「花」はお供えの代わりになる?
キリスト教では、食べ物のお供えは行われませんが、花は重要な意味を持つ存在です。教会葬儀や追悼の場では、祭壇に花が飾られ、故人を偲ぶ象徴として用いられます。
花は、神が与えた命の美しさや、復活と永遠の命への希望を象徴するものとされています。そのため、花を手向けることは、故人への敬意と祈りの気持ちを表す自然な行為とされています。
ただし、これは仏教の「食べ物のお供え」とは意味合いが異なり、神への祈りと感謝の中で故人を偲ぶ象徴的な行為として行われるものです。

お供えの代わりに用いられる「御花料」とは
キリスト教の葬儀では、仏教の「供物」や「香典」にあたるものとして、「御花料(おはなりょう)」が用いられます。
御花料とは、葬儀に際して花を献げる気持ちを表した金銭であり、故人への祈りと遺族への慰めの気持ちを表すものです。食べ物などを供える代わりに、このような形で弔意を示します。
キリスト教では、祭壇に食べ物を供える習慣はありませんが、花を通して祈りをささげる文化は大切にされています。供花の意味やマナーについてより詳しく知りたい方は、以下の記事も参考になります。
▶ 教会葬儀における供花の意味・マナーはこちら
教会葬儀における供花とは?マナー・選び方・献花との違いも解説
また、「香典は必要なのか」「御花料との違いは何か」と迷われる方も少なくありません。キリスト教の葬儀における金銭の考え方について整理した記事もあります。
▶ 教会葬儀で香典は必要?詳しい解説はこちら
教会葬儀で香典は必要?キリスト教の葬儀における香典マナーと対応方法
御花料は、白無地の封筒やキリスト教用の封筒に入れて持参するのが一般的です。仏教のような黒白の水引が付いた不祝儀袋は通常使用しません。表書きは「御花料」または「御ミサ料」と記し、祈りの気持ちを込めてお渡しします。
これは供養のためではなく、神への祈りと遺族への慰めを表す行為として位置づけられています。

家庭でのお供えはどう考える?迷ったときの判断ポイント
キリスト教の正式な教義においては、仏壇のように日常的に食べ物を供えるという習慣はありません。故人がそれを受け取る、あるいは供えることで何らかの変化が起こるという考え方は、キリスト教には存在しないためです。
一方で、日本という文化的背景の中では、遺影の前に花を飾ったり、命日に故人の好物を置いたりする家庭もあります。このような行為は、教義上の「供養」ではなく、故人を思い出し、感謝や祈りの気持ちを形にするためのものと理解されています。
もし家庭で何かを供えることを検討する場合は、「故人に届けるため」ではなく、祈りの時間を持つきっかけとして行うという意識が大切です。
また、親族の中に異なる宗教観を持つ方がいる場合は、それぞれの気持ちを尊重しながら、無理のない形を選ぶことも重要です。
判断に迷う場合は、所属教会や葬儀社に相談することで、その家庭にとって自然な向き合い方を確認することができます。
まとめ
仏教では、ごはんや果物などを供える「お供え」が、故人への供養として大切にされています。一方で、キリスト教には同じ意味での「お供え」の習慣はありません。
キリスト教では、故人は神のもとへ迎え入れられた存在であり、物を供えることで状態が変わるという考え方はありません。大切にされるのは、神に祈りをささげ、故人を覚え続けることです。
そのため、教会葬儀や追悼の場で食べ物を持参する必要はなく、弔意は御花料や供花などの形で表します。これらも供養のためではなく、祈りと敬意を示す行為として位置づけられています。
もし「何かを供えたほうがよいのでは」と不安に感じた場合は、形式よりも気持ちを大切にするというキリスト教の基本的な考え方を思い出してみてください。
キリスト教において最も大切なのは、物ではなく祈りの心です。
みこころ舎では、キリスト教葬儀に関する疑問や不安について、信仰やご家族の状況に寄り添いながら丁寧にご案内しています。お供えや御花料、供花の扱いについて迷われた際は、どうぞお気軽にご相談ください。
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