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キリスト教葬儀でお清め塩は必要?参列前に知っておきたい基礎知識
2025年12月19日
キリスト教の葬儀に参列する予定がある方や、親族がクリスチャンで教会葬を行うことになった方の中には、「お清め塩ってどうするの?」「キリスト教の葬儀でも使うものなの?」と疑問や不安を感じる方が少なくありません。
日本では葬儀=お清め塩というイメージが強いため、使わないと失礼になるのではないか、何かしないといけないのではないかと心配になるのも自然なことです。
この記事では、「お清め塩とは何か」という基本から、キリスト教葬儀におけるお清め塩の考え方までを、一般の方にもわかりやすく解説します。初めて教会葬に参列する方でも、安心して判断できる内容です。
目次
お清め塩とは?
お清め塩とは、主に葬儀や通夜のあとに、体や玄関先に塩を振りかけることで「穢れ(けがれ)」を落とし、日常生活に戻る区切りとするための、日本独自の習慣です。特定の宗教儀礼というよりも、長い時間をかけて生活の中に根付いてきた慣行として広く知られています。
一般的には、葬儀場や火葬場で小袋に入った塩が配られ、「家に入る前に使用してください」と案内されることが多くあります。喪服を脱ぐ前や、玄関先で軽く肩や足元に振りかけるなど、使い方に厳密な決まりがあるわけではありません。
塩が用いられてきた背景には、日本の文化において塩が「清め」や「区切り」を象徴する存在として扱われてきた歴史があります。古くから、神社の参道や相撲の土俵、料理の下準備など、さまざまな場面で塩は「場を整えるもの」「気持ちを切り替えるためのもの」として使われてきました。
その流れの中で、葬儀のあとにお清め塩を使う習慣も生まれ、「死」という非日常的な出来事から、再び日常へ戻るための心理的な区切りとして受け取られるようになったと考えられます。つまり、塩そのものに宗教的な力があるというよりも、気持ちの整理や切り替えを助ける象徴的な行為として受け入れられてきた側面が大きいのです。
ただし、このお清め塩の習慣は、すべての宗教に共通するものではありません。あくまでも日本の葬送文化の中で広く使われてきた慣習であり、宗教ごとの教えや考え方とは必ずしも一致しない場合がある、という点を理解しておくことが大切です。

キリスト教にお清め塩はある?
結論からお伝えすると、キリスト教には「お清め塩」という習慣はありません。
聖書や教会の教えの中に、「死や葬儀のあとに塩で身を清める」「穢れを落とすために何かを行う」といった考え方は登場せず、教会葬においても塩を用いた儀式や作法は行われません。
そのため、キリスト教の葬儀に参列したあとで、お清め塩を使う必要はありませんし、使わないことがマナー違反になることもありません。実際、教会やキリスト教系の葬儀社から「お清め塩」を渡されることは基本的にありません。
もし仏式の葬儀に慣れている方が「何もしなくて大丈夫なのだろうか」と不安に感じたとしても、キリスト教葬儀では“使わないことが自然な振る舞い”であり、気にする必要はないと考えてよいでしょう。

キリスト教葬儀でお清め塩を使わない理由
キリスト教でお清め塩を用いない理由は、単なる慣習の違いではなく、死に対する考え方そのものが日本の民間信仰と異なることにあります。
キリスト教では、死は「穢れ」や「忌むべきもの」ではなく、故人が神のもとへ帰る出来事として受け止められています。そのため、死に触れたあとで何かを清めなければならない、という発想自体が存在しません。
また、清さや救いは、塩や物によって得られるものではなく、神の恵みと祈りによって与えられるものだと考えられています。人が行う儀式によって状態を整えるのではなく、神の愛と導きに身を委ねることが信仰の中心です。
教会葬では、祈り、聖書朗読、賛美歌を通して故人を神に委ね、ご遺族や参列者が心を神に向ける時間が大切にされます。そのため、縁起や迷信的な行為を加える必要はなく、お清め塩のような行為は信仰上の意味を持たないとされています。

実際の教会葬ではどうしている? お清め塩への対応
実際の教会葬では、参列者にお清め塩が配られることはほとんどありません。葬儀後に特別な「清めの行為」を求められることもなく、そのまま日常生活に戻って問題ありません。
多くの教会では、牧師先生や神父様、教会スタッフから「お清め塩は必要ありません」と事前または当日に説明があり、初めて参列する方が戸惑わないよう配慮されています。キリスト教の葬儀では、死を穢れとして捉えないため、葬儀後に何かを清める必要がないという考え方が基本にあります。
一方で、親族や知人の中には、日本の慣習としてお清め塩を用意している方がいる場合もあります。そのような場面で塩を手渡されたとしても、キリスト教的には使う必要はありません。
受け取った場合でも、無理に使う必要はなく、そのまま持ち帰って処分して問題ありません。また、「キリスト教では使わないから」と理由を説明しなければならない決まりもなく、「ありがとうございます」と受け取るだけで失礼にあたることはありません。
大切なのは、周囲の慣習に振り回されて不安になることではなく、キリスト教の信仰と考え方を尊重し、無理のない行動を選ぶことです。教会葬においては、お清め塩を使わないことが自然であり、それがマナー違反になることはありません。
参列前に知っておきたいポイント
キリスト教葬儀に参列する際は、次の点を押さえておくと安心です。
- お清め塩は使わない
- 数珠は不要
- 焼香は行わず、献花が行われることが多い
- 「ご冥福をお祈りします」など仏教由来の言葉は避ける
- 立つ・座る場面は、司式者や周囲の流れに合わせればよい
- 賛美歌は無理に歌わなくても問題ない
- 祈りの時間は、静かに心を向けることが大切
特に「数珠は必要?」「どんな言葉をかければいいの?」と迷われる方は多く、事前に確認しておくと当日も落ち着いて参列できます。こうした疑問については、以下の記事でそれぞれ詳しく解説していますので、あわせて参考にしてみてください。
●数珠について詳しく知りたい方はこちら:
キリスト教の葬儀に数珠は必要?参列前に知っておきたい基礎知識
●お悔みの言葉に迷った場合はこちら:
キリスト教葬儀でのお悔みの言葉|参列前に知っておきたい基礎知識
また、献花と供花の違いや、花を贈る際のマナーについては、以下の記事で詳しく解説しています:
教会葬儀における供花とは?マナー・選び方・献花との違いも解説
細かな作法を完璧に覚える必要はありません。迷ったときは、教会の案内や周囲の流れに合わせ、故人を偲び、祈りの時間を大切にする姿勢が何より大切です。
よくある質問(Q&A)
Q. キリスト教葬儀でお清め塩を使わないのは失礼ですか?
A. 失礼にはなりません。キリスト教ではお清め塩を使わないことが自然であり、使わないからといってマナー違反になることはありません。教会側や信徒の方も、お清め塩の有無を気にすることはほとんどありません。
Q. 家族が非クリスチャンで不安が強い場合はどうすればいい?
A. 「キリスト教ではお清め塩は使わないそうです」と、宗教的な考え方としてやさしく伝えるのがおすすめです。無理に理解を求める必要はなく、参列者それぞれの気持ちを尊重しながら判断して問題ありません。
Q. 自宅に戻ったあと、何か特別なことをしなくて大丈夫?
A. 特別なことをする必要はありません。キリスト教では、葬儀のあとに清めの行為を行う習慣はなく、そのまま日常生活に戻って問題ありません。
Q. 周囲の人が使っていても、自分だけ使わなくていい?
A. 問題ありません。周囲が習慣としてお清め塩を使っていても、キリスト教の考え方に基づき、自分は使わないという選択をして差し支えありません。無理に合わせる必要はなく、静かに見守る姿勢で十分です。
Q. お清め塩を渡された場合、どう対応するのが無難?
A. その場では「ありがとうございます」と受け取り、使わずにそのまま処分して問題ありません。相手の厚意として受け止め、宗教的な理由を詳しく説明する必要はありません。
このように、キリスト教葬儀におけるお清め塩の扱いはとてもシンプルです。大切なのは、慣習や迷信にとらわれすぎず、故人を思い、祈りの時間を静かに大切にすることだといえるでしょう。
まとめ
キリスト教の葬儀において、お清め塩を使う習慣はありません。お清め塩は日本の葬送文化の中で広く使われてきた慣習であり、キリスト教の信仰や教えとは関係のないものです。
キリスト教では、死は「穢れ」ではなく、故人が神のもとへ帰る出来事として受け止められています。そのため、葬儀のあとに何かを清める必要はなく、祈りと感謝のうちに故人を見送ることが何より大切にされています。
教会葬に参列する際、「お清め塩を使わなくて失礼にならないだろうか」「何かしないといけないのでは」と不安になる方も多いですが、使わないことがキリスト教では自然な振る舞いであり、マナー違反になることはありません。周囲の慣習に合わせる必要もなく、無理のない判断で問題ありません。
もし迷ったときは、教会の案内や司式者の指示、周囲の流れに静かに合わせながら、故人を偲び、祈りの時間を大切にすることを意識してみてください。それが、キリスト教葬儀において最も大切にされている姿勢です。
当サイトでは、キリスト教葬儀に関する不安や疑問に寄り添いながら、信仰を尊重したお見送りをお手伝いしています。お清め塩のことをはじめ、教会葬についてわからないことがあれば、どうぞお気軽にご相談ください。
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